クレッシェンド



まるでかりそめの雑踏に息を映して
コーラをひと飲みして
ぼんやりとした深海魚の体温で
私は必死に何かに応えようとする
それが何かわからないまま
バスの排気音に惑わされて
つめたい息を忘れて
街の熱気に行き場を見つけられずに立ちつくす
まるでかりそめの雑踏に私はいて
何をどうやって応えるべきなのか探してる
沸点はクレッシェンド
生き急いでる
はっきりとそれがわかる
たった十七年の脆弱な生でも
それはわかる
好きでこうしてるんじゃない
ポータブルプレイヤーを取り出して
シャッフルして
気分に合う曲が見つからずに
ひたすらに次の曲へ飛ばし続ける
それがまさか
生きてることだとは言わないだろうから
混迷が
沸点に雫を垂らして
一瞬
粗悪な街に跳ねるクレッシェンド
須臾(しゅゆ)
聞き惚れて
いつのまにか次の曲を探すことを忘れ
十七の惰弱と重ならない曲が
鼓膜を揺らしてる
不調和が
私を急かす
何かに応えなければならない
すっかり街のクレッシェンドを見失い
あるいは消え失せてしまったのか
十七の惰弱と重ならない曲なのに
妙に涙を誘う
私のクレッシェンドの雫
そして私は本当にかなしい
普遍の愛をうたった曲に
自分が重ならないことが
そして私は本当にかなしい
ひたすらに糸を食んでる
私を導くはずのそれは
とうにほどけてしまって
ただ
引きよせるばかりの徒労
それでも
すがるしかなくて
つめたい息の仕方はすっかり忘れて
私はおとなになっていって
それでも
私のクレッシェンドを失いたくないなら
応えるしかないんだってことだけわかってる
それでも
いつか普遍の愛が
重なる日が来るのだと
半ば確信してる
そして私は本当にかなしい
つめたい息の仕方は
この街の吐息の熱でさえ溶け合わせ
私はその輝きを見るだけで
応えることができてたのに
言い訳をこしらえることが脆弱の作法だと言うなら
甘んじたとしても
ポータブルプレイヤーの中の全てのメロディのどれにだって
私は重なることができない
世界のクレッシェンドは確かにここにあるのに
息の仕方がわからなくなる
湿度のせいじゃない


投稿日時 2013年 8月28日 午前4時28分
タイトル 灯を失った明け方の街が美しくて、私は命を放り投げたくなる

この世界は美しい
少なくとも私にとっては
暁風になぶられて
はっきりとそれがわかる
そのことがどうしようもなく悔しくて
暁光が導くところの終着点として
どうしようもなく救いがたい愚行として
私は命を放り投げたくなる
人造湖の堤防から見下ろす街並みに
なんの芸術性も見出せはしないけれど
それでも
私を押しつぶすだけの美しさはある
整った芸術よりも鮮烈な
乱暴なまでの静謐(せいひつ)さで
私を圧する
クレッシェンドを呼んでいる
私の中に
もうどれだけ残っているともしれない
夏の息吹きに跳ねるためのクレッシェンドを
明け方の街並みにも
夜の雑踏にも
そして真昼の陽炎にも
どれにも応えることができない私は
ただ生き急いでる
どれかに応えられるようになりたくて
あるいは
どれにも応えられないと確信してしまいたくて
生き急いでる
平和すぎるゆえの私の矮小さが
それを招いてる
目の前の景色を塗りつぶしてみせたところで
(せん)ないこと


夜明けの空気を吸いながら、これからとめどなく上昇していくであろう温度のことを思う。ポータブルプレイヤーを操作しながら、いずれ来るであろう冬の景色を思う。私は明け方の熱の中にいて、それがすっかり心地よく、私が昨日に置き忘れてきたものの価値を一瞬忘れてしまう。そのまたたく間に世界のクレッシェンドが降り注ぎ、私は思い出せたはずの昨日を根こそぎ奪われてしまう。そしていつか、昨日に何を零してきたのかを忘れ、そもそも何かをなくしてしまったのだということも忘れる。世界のクレッシェンドが跳ねていることも、さほど気にならなくなる。そして遠からず、世界にクレッシェンドがあったことを忘れる。
今の自分に近しい曲をなんとかひとつだけ見つけて、それをずっと繰り返し聞いている。しかしそれはあくまで近似値であって重なりはしない。その不整合すら、もう今となっては心地よいくらいで、すっかり命を投げ出したくなっている。
私は十七で、生き急いでいて、塵埃(じんあい)のような少女で、路傍の蝉。
それが今わかる唯一のこと。
自分を見くびってはいけないと教えられた。
そう、かまきりくらいであるかもしれないし、あるいは抜け殻でしかないのかもしれない。昨日にその身を落としてきた抜け殻。
中身がふっと目の前を通り過ぎる。
すでにして、息も絶え絶えの飛行で。
私はあっけなく悟る。
ああ、あんなに大切に感じていたものでさえ、抜け殻から出てしまえば、まるで燃えかすみたいなものでしかなかったのか。
私のつめたい呼吸は。
すっかりと、私自身のクレッシェンドに燃やされて。
あれだけ求め、また自らの一部であったそれに、報復であるかのように焼き尽くされて。
私は少し、幸せに過ぎた。

短い区間のうちに電車を二回乗り換え、家の最寄り駅に着いた頃には、私はすっかり頭痛に悩まされていた。暁に酔わされたのだろう。脳内の圧力は減損なく右往左往し反響を続け、私は視界がゆらぐ思いさえする。駅から家までのなんでもない道の中でさえ、世界が揺れていると感じもする。道の途中、右手にある公園では、散歩に連れ出された犬がはしゃいでおり、左手にある小学校はまだひっそりと、呼吸を忘れたかのように佇んでいる。どうしたって、私は幸福でしかなく。
ああ、頭が痛い。
交差点に出て、信号を渡って少し先、大きめのサイクルショップの駐車場の隅に自動販売機があることを思い出す。
ああ、頭が痛い。
その自販機で水を買おう。百十円の、なんでもない、よく冷えたミネラルウォーターを飲み下し、せめてこの火照りがやわらぐことを期待しよう。
そして私は諦めよう。
蝉としてそれに応えることを。
私はまったく混じり気のない、正しい十七の少女になろう。
ずいぶんな出世だろう。
そして私は本当にかなしい。
この頭痛は、きっと最後の残り香だ。
私は財布から、二枚の硬貨を取り出す。



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