しんどいな



どうしてって
何度繰り返して
どうあってもしんどいなって
幾度も経て
結局のところ
ひとりでいることだけが問題
どうにもこうにも
きみはいなくて
あの子とじゃれ合っているだけで
実際のところ
今は
どうあってもしんどいなって
それだけのことだけど
どうしてって
また繰り返す
うろ覚えの呪文で
変わりもしない日々の
ひび割れた世界の
音が聞こえるまで
どうしてって
また繰り返すよ

ジャスミンティーをずっと飲み続けている自分は、好きでも嫌いでもない。
電話の向こうから、妙な反響のする声が聞こえる。
彼女はきっと、布団にくるまって話しているのだろう。
「そのピアノの音は、クラシックじゃなくて、現代音楽のもの」
僕はまたジャスミンティーで喉を湿らせる。
ティーカップなんて洒落たものじゃなく、1リットルの紙パックに直接口をつけて飲んでいる。
「ヒーリング系って言い方が嫌い」
それについては僕もおおいに同意する。
ガムを噛みたくなったけど、ジャスミンティーとミントのガムの相性はとてもじゃないが良いと思えなかったのでやめる。
「聞こえる」
自分の部屋からも、電話の向こうからも、ピアノの音は聞こえない。
けれど彼女には聞こえているのだろう。
スポットライトを浴びている銀色のピアノ。誰も奏者がいないのにひとりでに鳴りだすピアノ。その旋律が。
涙を流してしまうほど澄んでいて、恐れおののくほどに不協和音。
「なくしたものに似ている。忘れてきたものに似ている」
獲得と喪失を繰り返して、摩耗して、手にしたものは嬉しくなくて、なくすことにばかり敏感で、怠惰。
「でも実のところは、一度も手にしたことのないもの」
彼女の言は、いつでも僕を揺さぶる。
「私たちが純粋だった試しはないし、あるいは、不純だったこともない」
それはどこか、憧憬に似ていると思った。
「エッチしたいなあ。めんどくさいから嫌だけど」
それについてもおおいに同意する。
ガムを噛むかジャスミンティーを飲むか迷ったけれど、結局ジャスミンティーに口をつけた。
そういえば、ミントのガムはそもそも好きじゃなかった。
仕事場に、例えば柑橘系の、甘い匂いを漂わせたくなかっただけだった。
今となっては意味のない配慮で選んでいただけだった。
「アブノーマルとか、いいかもね」
それについては同意しない。
「アブソリュートって言葉が好き」
とっさには意味が思い出せなかった。
けれど彼女の話題はすぐにどこか別な場所に飛んでいくので、思い出せなかったとしても、たいして問題はない。
「聞こえる」
銀色のピアノの、純白の鍵盤が叩かれている。
「聞こえる?」
聞こえるふりをしたところで、彼女は喜ばないだろう。

あいしてると何回言ったか
だいきらいと言った回数よりずっと多い
それが
はたして
歓迎すべきことなのか
ただの軽薄さなのか
そんなこと
考えることがそもそも無駄なのか
曲の切れ間の
無音の間に
少しだけ
怯えてしまった彼女が言った
「けっこうきみのこと好きだけど、エッチしておく?」
拒否したらそこそこ傷ついてしまうだろう。
受け入れたところで、お互い幸せにはなれないだろう。

透明な
指揮者になりたくて
手を振ってみるけど
奏者はいなくて
曲の切れ間の無音に
やっぱり怯えてしまうだろうことだけが確かで
想像しただけで
十分に怖くて
明日は平日だから、
ホテルのフリータイム、きっと長いよ。
それだけ言った
自分に苛々した
「そうだね。たぶん長い」
なんで僕らはそんなに怖がりなのか
ピアノの音が綺麗すぎるからなのか
追い立てられるように
焦って
実際のところを確認しようとする
どうあってもしんどいなって
ただそれだけ

突然、ピアノが転調したことだけはっきりとわかった。
卒業式で響いていたらしっくりくるようなメロディに変わった。
聞こえないのに、それだけがわかった。
思わずジャスミンティーを飲んだけれど、そんなに喉は渇いてなかった。
むしろ煙草を吸いたかった
いつしか雨音が聞こえてきていた。
「枯渇と言うよりは飽和」
満たされている。
「ピアノの音が割れてきた」
それについては、わからなかった。
「祈りでもなく」
願いでもない。
「涙でもなく」
希求でもない。
「ただの事象」
あるがままで、
「神はサイコロを振らないなんて言うけど」
なすがまま。
「本当のところはもっと全然すごくいい加減なんじゃないかなあ」
雨音が響く。
「私たちみたいなのを生み出すくらいだから。既出っぽいね、これ」
断ち切れないものばかりある。
「こっちの地元のホテル、フリータイム5時間だって」
捨てきれないものばかりある。
「ウルトラモバイルPCって、なんかださい名前だよね」
お金はないくせに、そういうものは持っている。
ジャスミンティーをもっと買ってこなければ。
満たされすぎている。
どうあっても、しんどいんだけれど。

慈愛ではないな。
ただの手抜きだな。
もう一度、うろ覚えの呪文を唱えてみる。
世界の有りようを、知ろうとしてみる。
電話の向こうの彼女の気持ちさえ、ろくにわからないのに。
「おごられるのは嫌。割り勘がいい」
聞こえてもいないピアノの音が、転調するのがまたわかった。
ウェディングにしっくりくる曲調になった。
ジャズがよかった。



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