バイオレット



結局のところ
なんだかなぁってなっちゃって
キスもハグもそれ以上のことも
別にばかにもできないし
積極的に賛美もできない
なんだかなぁって
ああ
雲が流れてくって
そのことが
そのことの方が
私の心をざわめかせ
揺らし
哀切を誘うよ

窓から差し込む明かりが(だいだい)になり、これ以上ここに留まる理由はないことを告げていた。コンクリート打ちっ放しの部室にあるささやかな窓は、頬を染めてお帰り、と言う。金属製の、見た目だけは頑丈そうなドアは、もう今日はここに来る者はいないよ、と言う。新入部員獲得のために各部が趣向を凝らす中、私たち文芸部だけは吃驚(びっくり)するくらい何もしない。配った冊子に、入部希望の人は部室に来てねと書いてあるだけ。それも、最後の奥付の部分に。控えめなのは美徳かもしれないが、毎年毎年部員数がぎりぎりで廃部の危機にさらされているのも事実だ。とにかく、これ以上ここに長居をしても得るものはないようだった。

帰り道は(よい)と夕が混じり合ったバイオレット
そんな曖昧な時刻のロープの上で曲芸めいたことをしたくなる
駅までの道程、私の左右にあるのは茶畑だ
どんな曲芸も似合いそうにない
それでも
誰かに言われてみたい
滑稽でも愚かでも無様(ぶざま)でも
軽やかに飛んでみせればいいじゃないか
お気に入りのポータブルプレイヤーはついに壊れてしまい
私は空気の散歩している音を聞く
なぜこんなにも
軽やかに世界は回っていくのだろう
滑稽に愚かに無様に無惨に冷酷に、ひたすらに、ただひたすらに
なんだかなぁ
茶畑に挟まれて
すっかり取り残された気分で
何もかもフィルムの向こうのことに思えてしまい
文芸部が廃部になっても
いきなり彼氏に別れを告げられても
地球が明後日滅ぶんだよって言われたって
受け流してしまいそう
受け入れるんじゃなくて
バイオレットが沈んでいく
私は帰らなくちゃいけない
ポータブルプレイヤーを持たずに

これはもの悲しいと言えばいいのだろうか/ポータブルプレイヤーがあれば、今の気分に近い曲を探せた/あるいは、愛と呼んでも怒られはしないのだろうか/それにしたって、茶畑に囲まれていながら愛を謳ったところで/私たちの不調和は完全である/ああ、雲が流れていく/そのことが/そのことの方が/私の心をざわめかせ/揺らし/哀切を誘うよ/私は歩けなくなって/不審者になって/どうして私たちの不調和はこんなにも完全なんだろう/どうして私たちの世界の調和はこんなにも完全なんだろう/間違い続ける私たちは、正解を続ける星の上で生きている/ポータブルプレイヤーがあってもこんな気持ちの曲は見つからなかっただろう/不調和が息づいてる/私と彼の間にも/私と茶畑の間にも/そしてそれは/完璧で/手の出しようがない/間違うために生まれてきたことが/あまりにも美しすぎて/手出しができない/悔しい

気づけば私は息を乱していた
いつのまにか呼吸をすることを忘れていた
そうこうしているうちにも雲は流れていく
バイオレットは深くなっていく
ここにずっといるわけにはいかない
家には夕飯が用意されているし
なにより
死に場所が茶畑に挟まれた道だなんて
不調和にもほどがある
雲が流れていき
そろそろ星も見えるころ
私は不調和に息づくままに
正解を続ける星の上で生きている
誰かに言ってほしい
曲芸めいたことをしてみたらどうかと
どんなに愚かでも
世界と自分の完全性を証明する結果にしかならなかったとしても
軽やかに飛んでみせてはどうか
誰かに
(ささや)いてもらいたい
こんな深いバイオレットに包まれてしまっては
ただ悔しいだけで
どんな勇気も湧かない

もっと間違えてほしい!
もっと欠陥を見つけたい!
もっとつたなく!
もっと無秩序に!
そうでなければ!
人間でしかない私は、ただ負け続けるだけじゃないか!

雲が流れていく
電車のドアが開き、曖昧に人を流していく
私はその流れに逆らうことなく
夕飯も残さない
そして彼氏に電話をかけて
うっかり泣くかもしれない
悔しいんだよ
とてもとても悔しいんだよ
でもそれだって
不調和である証にしかならなくて
でも結局電話して
泣いちゃうかもしれないよ
星は巡り
遙か彼方から遙か昔に放った優しい光を届ける
月を見ながら泣いても
何の抵抗にもならない
ああそういえば
雲はいつのまにか消えたのかって
月夜を見上げながら思うよ
涙でにじんでよく見えないだろうけど
哀切を通り越して
悔しくて仕方ない



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