戯作(げさく)草子(そうし)虚構文芸Brainstorm



レンジで温めたハヤシとごはんに文学性など見出せはしないし、虚構としても不十分だが、それでも腹は膨れる。情けなくも喜ばしいことに。だがしかしけれどそれは戯作でも文芸でも虚構でも叙情(じょじょう)でもBrainstormでもない。ただそのことを思い煙草に口をつければ、何も食べる気がしなくなる。だがしかしけれどあいにくここに仏壇はないので、モッタイナイの精神からすれば遠からずハヤシライスを食べなければならないだろう。その時にそれがどれだけ冷めていたとしても。もう一度レンジで温め直すなんて馬鹿みたいなことをする気にはなれないだろう。しかしずいぶん腹が減った。

飽食なんて馬鹿なことを今でも(のたま)い続けているのか
世迷(よま)(ごと)もほどほどにしておけば
どれだけ陳腐(ちんぷ)なハヤシライスを食わされて生きているかがわかる
わかったところで何も起きない
Brainstormが関の山なんだ
どうしたって本物にはなれないよ
だから漢字で書かないよ
ありきたりな
吐き気のする
ありがちで
美しさの欠片もない
鈍色(にびいろ)のBrainstorm
それを文学性に変換しようとする試みは
100年も前から連綿(れんめん)と続けられ
実のところまだ続いている
完成品はいつくも見れど
まだ終わりとは言えないだろう
それが鈍色である限りは
もしそれが
極彩色(ごくさいしき)であるならば
そもそも
文学なんてお遊戯
やってられるものか

ああ、ああ
止まらない選択の果てに今手にした物が
どんなにか害悪で
どんなにか劣悪で
醜悪で実体のない
ゴーストだったとしても
愛するしかないのが
僕らの文学
戯作
草子
虚構
文芸
Brainstorm
愛しきゴースト
汚濁(おだく)もほどほどにしておけよ
極彩色にはどうせなれない
鈍色の不自由で
愚作をものするしかないってのに

どんなに愚図(ぐず)で間抜けで
ありきたりなBrainstormを持て余すだけだとしても
懲りずに命は跳ねている
明日の希望を謳ってる
なんにもないモノクロの
空っぽの未来を
カラフルに厚塗りしてまで
未来を謳うことをやめない
極彩色まがいの

とかく生きるのが下手だなと自覚し、また指摘されたところで、染みついたBrainstormは剥がせない。そんな諦めこそが真に鈍色を招いているのに。でもしかしけれどこれは確実なところで僕は極彩色には至れない。であるならば鈍色でも僥倖(ぎょうこう)と思うしかないと思い込んで生きている。そう。生きている。今日も生きているからBrainstormで明日も生きるからBrainstormだし、昨日を生きていたからBrainstormがここにあって地続きの鈍色。日付が変われば、強引に厚塗りされたカラフルが剥がれ落ちてそこには鈍色しかない。極彩色にはほど遠い。

僕らの明日
現実
日々
戯作
草子
虚構
文芸
Brainstorm
愛しきゴースト
いつまでもそこにいておくれ
せめてBrainstormぐらい
気取らなけりゃ



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