Diary



10月26日
喫茶店でカーライルが言っていたこと、わからなくもない気がする。
幸せと堕落は比例する。不幸と堕落は反比例する。
逆に言えば、堕落と比例する不幸というものは偽物なのだ、と。
カーライルは、不幸の美しさを説いた。
完全で純粋な不幸がどれほど芸術的至高であるかを。
それは本人にはしてみればたまったものじゃあるまい。
しかし反論は認められなかった。
そして、要らぬ心配である、と。
完全で純粋な不幸というものを、たかが人間が背負いきれるはずがない。
なるほど、と思ってしまった。
こうしていつも僕はカーライルに負ける。


10月27日
自分が欲してやまず、今もなお渇望しているものはいったいなんなんだろう。
ベンジャミン・フリークは陳腐(ちんぷ)な表現で申し訳ないが、と前置きした。
それは愛であると言われた。
愛とはなんなのか、と問うと、ベンジャミンは困った顔をして、わからない、と答えた。
わからないものをなぜ断定できるのか。
順序が逆なんだ、とベンジャミンは言う。
正体がよくわからないものに、人はとりあえず愛と名付ける。
なるほど、と思ってしまった。
論理は破綻しているはずなのに。
僕はベンジャミンにも負ける。


10月29日
日記を1日サボってしまった。
とてつもない脱力感に見舞われる。
たぶんこれも、ベンジャミンに言わせれば愛なのだろう。
日記を今まで書き続けてきたが、何も答えらしきものは出せなかった。
1日書かずにいたら、すぐに結論が出た。
昨日はシンディと酒を飲んでいた。
途中からの記憶が曖昧になっていた。
仮にもし、その時に何かが起きていたとしても、
シンディに対して愛を感じないことだけははっきりわかる。
今日の脱力感の方がよっぽど愛に近いと思える。


10月30日
朝から雨が降っていた。
本格的な雨量だった。
僕の毎朝の散歩は雨天順延となった。
そもそもこの日記は、僕が渇望していたものがなんであるか見出すためのものだった。
ベンジャミンに言わせれば、それは愛である。
そしてそれは、日記を書くのをやめれば、すぐに実感できる。
ミスターブラックバーンに電話で話をしてみた。
電話で話しながら、
金欠によって食糧難に陥っている彼に送るインスタント食品を物色していた。
名誉のために書いておくが、料理が不得手なのはブラックバーン氏のほうである。
今日のブラックバーン氏は珍しく、ロリコン談義をしなかった。
私がひとつだけ言わせてもらうならば、そう言う彼の声は全くいつも通りだった。
愛というものは、人の罪ではないかね。
本質的に持っている罪だ。
言ってみれば、純粋な不幸だよ。
それぞれ別な人との、数日の中での話が、どうもここにきて繋がってしまった。
だがそれは奇妙に組み合わさっただけで、何の美しさも強度も与えなかった。
何も得られぬまま、ゴールにだけ辿り着いたという奇妙な感覚だけが残る。
ブラックバーン氏との話も終わり、食料も送った後、シンディから電話がかかってきた。
そろそろ、日記を書くのにも飽きてきた。
僕はこれからシンディの家に向かうところだ。
どうとでもなれ!


4月1日
僕は首を吊って死んだ。
嘘。



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