004 イノリスペシャル <祈莉>



 跳んで、跳ねて、とびっきりにローリングさせて、でも常に寂しさはあって、渇望はあって、もどかしくて、人間でしかない寂しさと情愛をない()ぜにしたラブソングを、イノリアレンジで決めちゃったりして。
「お前、ひょっとしてずっと起きてたんじゃないだろうな」背後で引き戸ががらりと開いたのは、午前九時半過ぎだった。シュウはリビングでプレステをつけてる私を見て、正解を最初に言った。「何か寝れなくて」私はシュウの方を振り返らなかった。視線はテレビ画面に映る五線譜に据えられたまま。「あれだけ運動して寝れないってのは、高校生の若さなのかね」というよりも、ライヴの興奮が結局冷めやらなかったと言うべきだろう。いや、ライヴだけじゃなく、その後の出会いも含めて、なのかもしれない。シュウのテクはいつも通りすごかったけど関係ないんだろうな。残念ながら。「プレステ勝手に借りた」とりあえず事後報告。「別にそれはいいけど、何やってんの?」
「作曲」
 私はコントローラーを操作して画面に音符を並べていく。そう言えば、いつも持ち歩いてるけど、シュウの家でやったことはなかった。一応、これでも女の端くれだから、この家ではシュウの女であることを満喫しておきたい。けれど今夜ばかりは、頭の中で不意に浮かんだ名曲を早く形にしたい欲に勝てなかった。
 私は『かなでーる2』というソフトと、メモリーカード数枚をいつも持ち歩いている。かなでーる2というのは、曲を作って、それを再生させることができるゲームソフトだ。便利な世の中になったもので、さすがに万能ではないものの、ゲーム機で曲が作れてしまう。これがあれば、いちいち演奏して、マルチトラック・レコーダーにパートごとに録音していく手間はいらない。パソコンが苦手でDTMなんて洒落たことができない私にとっては、神の光のようなソフトだ。そもそも鍵盤自体、得意ではないし。擦弦楽器で多重録音とか馬鹿なことはしたくないし。
「ずっとやってたのか?」「うん、まあ」シュウの問いかけに生返事で答えてしまった。どうしても画面と、脳内で響く音色に集中してしまう。「楽器ないだろ、この家。それで曲を作れるもんなの?」「頭の中で鳴らせばいいだけだから」両親の薫育の賜物と言うべきか、作曲をする時に楽器を使ったことがない。「子供の頃からね、よく鳴る」「そう言えばそうだったな。野暮なことを聞いた」そう、最後はボーカルを半音ずつ上げて、その後にギターの静かなアルペジオで締め。私は慣れきった手つきでコントローラーのボタンを押していく。六時間かけて、ようやく自分のイメージ通りの譜面ができあがった。
「完成」
 後ろからぱちぱちと拍手が響き、そこでようやく私は後ろを振り返った。「くそまじい」シュウはいつのまにか煙草を咥えていた。深夜、二人でコンビニに行ってゴムと一緒に買ってきたロングピースだ。私がいつも全部吸わないのを見かねて、自主的にシュウが消費してくれるようになった。ただ、シュウの口には合わないらしい。「あー、ヤニクラ。さすがに重いわこれ」頭を押さえたシュウに、なんとなく愛を感じてしまった。
「それどうすんの? ゲームだろ? 他のもんに録音できんの?」シュウは大儀そうにソファにもたれ、ガラスのテーブルに置かれたシンプルな銀の灰皿に煙草の灰を落とした。シュウの疑問はごく自然なものだと言える。というかさすがに、MDに録音する機能なんてのはついてない。ついてないが、できないわけではない。「シールドひとつあれば、解決できちゃうんだな。これが」私は自分の鞄を引き寄せて、やはりこれも常から持ち歩いているシールドと、ステレオミニへの変換プラグを取り出した。録音機能のあるのMDウォークマンと、空きのMDも用意する。
「テレビのヘッドフォン端子から出力して、ウォークマンのマイク端子に直接流せばいいわけ。けっこう綺麗に録れるよ」「なるほど」極論を言えば、テレビから流れる音をマイクで拾えば録音できる。それをケーブルを使ってやるだけのことだ。
「というわけで、人数分を録音するよー」バンド五人分と、今回はさらに追加で一枚。おっと、遠峰藤馬はMDプレイヤーを持ってないんだった。「おいおい、買い置きのMD使い尽くす気か」昨日、録音させてもらったCDの奴を加えて、一気に七枚(と、カセットテープひとつ)が消えることになる。「そこは愛でしょ。まあ、稀に見る名曲、『イノリスペシャルBPM145エクスタシー』の為だから、仕方ない」「愛だと認めるにはやぶさかじゃないが、お前の命名センスは一切認められない」まあ、私としては、愛だと認めてもらえればそれでいいんだけど、それは言わない。
「ああ、早めに連絡しておかないと」私はPHSを手に取り、メール作成画面を開く。とりあえず青偉に連絡しておけば、後は何とかしてくれるだろう。「連絡って?」シュウに煙草を咥えたまま尋ねられた。これは何てことのない質問で、ジェラシーとかどこにもないんだろうな、この人の場合。
「歌詞のコンペやることになったって話したじゃん? その課題曲、差し替え。『イノリグラマラスBPM167ボム』より『イノリスペシャルBPM145エクスタシー』のが名曲だから」


 下敷きになるドラムは激しく、不比等の大好きなブラストビート。裏打ちで。乗っかるギターは軽薄なくらいのロックンロール。今回のパンクは隠し味程度。存在感の薄い安寿のために、ちょっとだけベースソロを混ぜた(目立つのを好まないから、きっと嫌がるだろう)。ひとつ、挑戦的な試みをしているのもソーグッド。そこのところは、青偉あたりがすぐに気づいてくれるに違いない。
 私は星ノ宮駅西口そばにあるマックで、今朝できあがったばかりの『ノリスペシャルBPM145エクスタシー』を聞いていた。コーラのMはとっくになくなってしまっていて、あとはただ、煙草の吸い殻が増えていくばかりだった。気分はあまり良くない。日曜日のマックは混雑していて、人に酔ってしまいそうになる。たくさんの人と思考が入り乱れる場所は嫌いだ。ピアノマンにも人はたくさん集まるが、全員の気持ちが同じ方向を向いている。人を自分に同調させたいわけじゃないけど、錯綜するとどうにも駄目だ。ここを待ち合わせ場所に選んだことを後悔した。けれど、相手の好みも懐具合もわからないので、やっぱりマックが無難なのだろう。私はウォークマンの音量を最大に上げて、イヤホンで耳を塞いで、雑音をシャットアウトしていた。四万円もする値打ち物のイヤホンだ。去年の秋、誕生日プレゼントとしてシュウからもらった物。乙女な思考回路の持ち合わせはないと事あるごとに喧伝しているものの、実はとても大切にしていたりする。
 1リピートで、イノリスペシャルをずっと聞いていた。聞けば聞くほど、早くこの歌を歌いたくなる。けれど、歌詞がなければ歌えない。こういう時だけは、自分に文才がないことを恨めしく思う。とは言え、私には間違いなく音楽の才能がある。私が望む望まないにかかわらず。あまり二物も三物も欲しがるのは上品とは言えないだろう。ただ、音楽の才能がもたらすのは、いいことばかりではない。私は時々、自分の感性に呑み込まれそうになる。なぜだろう。私の曲がいい曲であればあるほど、《イノリ》を失いそうになる。だからなのか。そうであるから私には、歌詞が必要なのかもしれない。私が口にしなければ彩られることのない言葉たち。音波にするのは私の役目。どのフレーズも《イノリ》を待っている。私が《イノリ》であると教えてくれる。音の渦に沈みそうな私を引き上げてくれる丈夫な蜘蛛の糸。
 思考が深みにはまりそうだったので、断ち切るように頭を上げると、そこには所在なさげに遠峰藤馬がマックのトレイを持って立っていた。テリヤキバーガーのセットを買ったようだ。少なくとも赤貧に喘いでいるというわけではなさそうだ。次からはもう少しちゃんとした喫茶店にしよう。
「………………」
 遠峰藤馬が何事かを喋る。金魚の口パクみたいで面白い。イヤホンをして大音量で曲を聞いている私の鼓膜には、当然ながら遠峰藤馬の声は届かない。私はウォークマンの停止ボタンを押して、イヤホンを外した。ウォークマンをソフトケースに入れて(イヤホンはウォークマンとはまた別のソフトケースに入れて)、遠峰藤馬へ向き直った。
 手で合図して、向かいの椅子に座らせる。「待たせちゃいましたか?」遠峰藤馬は灰皿を見て、心配そうに聞いてくる。「いや私、一時間半前からここにいるから」全く杞憂というものだ。例え実際に遅刻したとしても、私はもとから時間にうるさい方ではない。
「悪いね。急に呼び出しちゃって。何か予定とかあった?」今日の遠峰藤馬は、緑のパーカーに、オレンジのTシャツ、黒いジーンズ。やはりと言うべきか、あまりファッションセンスは良くないようだ。「いえ、今日はずっと歌詞を考えようと思ってましたから」それならば、のどかな日曜日の昼にいきなり呼び出して、むしろ良かった。
「あのさ、新曲の入ったテープ渡してたじゃん?」遠峰藤馬はMD再生機器を持っていなかったので、カセットテープを渡していた。新曲を他の部員たちに聞かせて意見をもらおうとしていて、たまたまカセットの持ち合わせがあったので、それをそのまま渡した。「イノリグラマラスが入った奴」ちなみにメタルポジションのテープだ。遠峰藤馬には何のことやらさっぱりだったらしいので、ちょっと高いテープだよと言っておいた。
「ええ。寝る前も、起きてからも、ずっと聞いてました。いい曲です」おっと、それは悪いことをしたかもしれない。
「確かにイノリグラマラスもいい曲なんだけど、もっといい曲が書けちゃったんだよね。私、天才だから」「よく知ってます」そう返されると、言葉に詰まってしまうんだが。
「歌詞コンペの課題曲、差し替えようと思って。その曲を録音したテープをここに持ってきたってわけ」メタルじゃなくてハイポジションだったけど、カセットテープの買い置きもあるあたりが、シュウのシュウらしいところだ。「これ、渡すから、いきなりで何だけど、この曲の歌詞を書いて」私は、ラベルにイノリスペシャルBPM145エクスタシーと書かれたテープを遠峰藤馬に差し出し、遠峰藤馬は、やや緊張したような面持ちで、それを受け取った。しかし、タイトルに突っ込みがないというのも、それはそれで寂しいものがある。
「さて、どうしよっかなあ」私は腕を組む。
「どうしよう、とは?」
 どうもこうもない。テープを渡し終えて、もう用事は済んでしまったのだ。しかし、遠峰藤馬のテリヤキバーガーのセットは手つかずで残っているし、私は特にこの後、用事とかないし、家に帰りたい気分でもないし、このままどこかへひとりで行って、そこで眠気に負けてしまうのも美しくない。
「うん、そうだ。そうしよう」
 私にとっては、導き出された結論は決して不自然なものではなかった。少なくとも私にとっては。
「遠峰くん、デートしよう」
「…え? え?」
 遠峰藤馬は、天変地異でも起きたみたいな顔をしていた。



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