001 跳ね回る夜 <祈莉>



 この気持ちいい苛立ちを、刹那から無窮(むきゅう)に変えて、私たちのサーチライトにしてしまおう。路傍(ろぼう)に転がる雑居ビルの地下に潜れば、めくるめく轟音の()(かご)。シンパシーで繋がっちゃうみたいな、くだらない三文芝居をして、狂いゆく夜に溶けて、激しいビートで深呼吸をしよう。鼓膜を揺らせ、魂で応えろ。月並みなセリフを、何のてらいもなく言ってみよう。
 ロックンロール・イズ・ヒア。
 なんて甘美な地下牢だろう。
 どいつもこいつも音楽の従僕ですって面をしている。
 うら若き高校生なのに、フラストレーションを昇華するために、わざわざこんなところまで来ている物好きたち。
 視界が目映(まばゆ)いライトに眩み、耳朶(じだ)には歓声が溢れる。
 私たちのバンドが、またステージに立てた喜びに浸っているうちに、一曲目は終わっていた。うちのバンドは通例、一曲目はコピーを()る。
「一曲目はお決まりのジュディマリ。てなわけで、ここでメンバー紹介をさせてもらうよ」
 マイクをスタンドから乱暴に抜き取る。いつもの私の作法だ。借り物の曲はいい子ちゃんでじっとして歌う。私たちのオリジナル曲になったなら、私は、ここ、ライヴハウス『ピアノマン』の狭いステージを駆ける。どんなに息が切れてもじっとしている事はしない。「音楽の授業じゃねえんだから。俺らみてぇな糞バンドが垂れ流してる(ごみ)みてぇなノイズでも、オーディエンスが跳ねればそれでいいわけじゃん?」って金言を戸丸(とまる)先輩から聞いてからは、歌が乱れようと、ステージでは絶対にハジケルことにしていた。戸丸先輩がやっているのは打ち込みを多用したぐちゃぐちゃのミクスチャーバンドで、つまるところ説得力があったということ。
「今日も音符のソニックを撃ち込んでよ! ギター! ピーちゃん!」
 私が叫ぶと同時に、ピーちゃんこと小梛(おな)諒成(りょうせい)は即興のギターソロを弾く。このギターソロは絶対に同じものにしないというのが諒成のこだわりで、実際、同じメロディを二度聞いたことはない。アドリブと言いつつ、密かに練習しているらしいけれど、まだ誰もその現場を押さえていないので、真相は知れず。
 諒成は音をいじるのが好きで、安くないエフェクターを三つも四つも繋げては、(ひず)む音を作り出している。凝り性なので、毎回ライヴをする度に音色は変わる。
「背徳のギターリフで天国に連れてってよ! もうひとり、ギター! みっくん!」
 みっくんこと三郷(みさと)青偉(あおい)は、5パターンくらいのソロを気分で使い分けている。メロディはオリジナルではなく、全てクラシックから拝借している。これは、青偉がクラシックギターも(たしな)んでいるからだ。先日、春の大会では全国で銅賞だったらしい。
 青偉はクリーンな音色を好む。ぐらぐら歪んだ諒成のギターと、青偉のギターはなぜかマッチする。不思議な化学反応だ。
「唯一無二のこの舞台をゴリゴリに揺らしてよ! ベース! アンジー!」
 アンジーと言うと、女の名前みたいだが、あくまで愛称であって、古月(ふるつき)安寿(あんじゅ)は正真正銘の男。単に名前のアンジュをもじってアンジーって名づけただけ。なんかかっこいいじゃん、アンジー、って戸丸先輩のところの千絃(ちづる)兄さんが言ったから、誰も逆らわずにアンジーに決定した。戸丸先輩が同じ事を言っていたら、ブーイングの嵐だったと思う。
「今夜もツーバスで私たちの魂を爆撃してよ! ドラム! 飛鳥(あすか)!」
 ツインペダルがなんかダサいと常々思っていた私が、ここのバイトの剛介(ごうすけ)さんに提言してから、ピアノマンでは二つのバスドラムを並べられるようになった。バスドラムの音をこよなく愛する志藤(しどう)不比等(ふひと)は、ピアノマンで演るたびに私に頭が上がらないと言ってくる。ガタイはいいのに小心者で、バンドでは飛鳥って名乗るわりに、どこもそれらしくない。
 徹底的にリズムを守り続ける堅実なベースが、叩く一発一発がとても重いドラムの上で流れていく。このリズム隊が下で支えてくれるからこそ、諒成も青偉も私も思いっきり自由にやれるのだ。
「そして私、今日もロック全開パンキッシュ雨あられ、パンクンロールの歌姫、斎川(さいかわ)祈莉(いのり)が、ボーカルとしてクレイジーを歌うよ! 用意はいい? 帰る時にあんたたちは別の人間に生まれ変わってる! 今の自分をぶっ壊して変わりなよ! さあ、私たち、『セイ・グッバイ・トゥ・ユートピア』の、めでたい十回目のライヴの幕開けだ!」
 私は跳ねる。首を振り、手を突き上げる。デニムのショートパンツに、シド・ヴィシャスのTシャツ、とにかく身軽さだけを重視した服を着て、跳ね回る。小さな体をゴムまりのように使って。ベリーショートにした髪は視界を遮らない。ステージが狭すぎる。跳ねる。乱痴気(らんちき)の渦の中で。そうすると、ハイになった意識が私に何かを話しかけてくるのだ。
 ――どうせあと四ヶ月足らずで死ぬのに。
 私は跳ねる。首を振り、手を突き上げる。ステージからは出ちゃいけない。
 千九百九十九年、四月十日。世紀末。それが今、この時。新歓ライヴの日で、カレンダーに花丸をつけておいたから間違いはない。
 ノストラダムスによると、七月末にこの世界は滅びるらしい。
 ああ、ダイブしたいな。ピアノマンでは禁止になってるからできない。これからもまたちょくちょくお世話になるハコだし、どさくさに紛れて勢いでルール違反をすることもできない。何だろう、パンクとかロックとかを標榜しているのに、観客たちの渦に飛び込むことも満足に出来ないなんて、馬鹿げてる。ステージからジャンプして、オーディエンスの波に四肢も心も掻き乱されながら歌いたいよ。
 めくるめく轟音の揺り籠。外はそろそろ宵の口。音は狂い、リズムが刺さる。二年生主体のバンドながらも、実力を認められて任された新歓ライヴのトリ。とびっきりにしなくちゃならない。叫ぶように歌っているうちに、頭は真っ白になり、意識は浮遊していく。聞こえる声もなくなる。けれど私は生まれ変われない。昨日と連続した今日、今日と連続した明日のライン上から飛び降りられない。
 私はなぜか信じて疑わないのだ。
 千九百九十九年、七月の最後の日に、世界は滅びてしまうのだと。


 出演者のうち、誰よりも遅くピアノマンを出た私たちは、打ち上げには参加せずに帰ろうとしていた。どうせ酒が入って大騒ぎになるし、そういうのは性に合わない。諒成や安寿も、同じくちらしい。青偉は願掛けで禁酒しているらしいけど、その願い事は知らない。結局、私たち二年生四人組が行かないとなると、一人だけ三年生である不比等も行かないと言い出す。バンドメンバーが誰もいないのでは楽しくないとのことだ。打ち上げ自体は嫌いではないようで、不比等が一年生で、当時の三年生とバンドを組んでいた頃は顔を出していたらしい。
 まだ地下にいながら、真っ赤なパーカーのポケットからシガレットケースとライターを取り出して、セブンスターに火をつけた。(なら)うように安寿もマルボロライトに火をつける。高校生の身分で一箱二百五十円は痛いが、すっかり中毒になってしまってやめる気はない。両親は私の喫煙を知っているけれど、咎める気はないらしい。駅のキヨスクのおばちゃんも、何のためらいもなく私に煙草を売ってくれる。自販機で買ってもいい。
 煙草をくわえながら、狭い階段を上がって駅前の商店街の一角に出た。一階はパチンコ屋になっていて、ピアノマンは地下二階にある。地下一階はゲームセンター。ピアノマンで少々うるさく騒いだところで、誰も何も文句を言わない。
 部としての打ち上げには参加しないが、その代わりに五人でマックに寄ろうという話はしていた。バンド活動にはとかくお金がいる。あまり他のことに金をかけてはいられない。手堅く安く済ませたいなら百三十円のハンバーガーがちょうどいい。ファーストフードの店内では雑音ばかりが耳に刺さるが、気心の知れた仲間と話していれば不思議と気にならない。
 私たちがマックのある方へ足を向けようとした時、見知らぬ人物が前に立ちはだかった。中肉中背の男。歳は私たちと大差ないだろう。
 緊張の面持ちが、商店街の散らかった明かりに照らされている。濃いブラウンのズボンに、濃くないブラウンの薄いジャケット、中にはグレーのシャツ、せめて差し色のひとつくらい考えてコーディネートしたらと文句をつけたくなる衝動を抑えた。髪は凡庸(ぼんよう)なショート。そして眼鏡。勉強はできそうだが、少なくともこのままでは、もてることはなさそうだ。
「あの、ライヴ見てました。感動しました」
 予想もしなかった言葉をいきなり浴びせられた。不比等は「え? 出待ち? オレらにもついに出待ち?」なんて馬鹿なことを言い出した。しかし、状況としては、出待ちと称するしか他にないようだ。
 新歓ライヴに来ていたのだろうか。ロックもパンクもメタルもミクスチャーも好きなようには見えない。実際、ステージ際で暴れていたオーディエンス(と言っても、半分は部員だが)の中で見た覚えはなかった。隅でジュースでも飲みながら遠巻きに見ていたのかもしれない。
 不意に、目の前の男は深々と頭を下げた。
 そして私たちはこの後、目の前の男、遠峰(とおみね)藤馬(とうま)を、近くのマックまで連行することになる。
「みなさんのバンドの曲の歌詞を、俺に書かせてください! お願いします!」
 私たちが呆気(あっけ)にとられた後、無言で顔を見合わせている間、ずっと藤馬は頭を下げ続けていた。



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