003 ゴーストライター <桐緒>



 ソニーのロゴ、プレステのロゴ、ローディング画面、Jリーグのロゴ、コナミのロゴ、コナミスポーツのロゴ、とかくスポーツゲームは起動してから実際に始めるまでが長い。その後の試合は十分少々で終わるのだから、何か割に合わない気分を持て余す。もっとも、それは勝者の余裕なのかもしれない。
 二十インチのブラウン管テレビの中で、緑色のユニフォームを着たポリゴンが勝ち誇り、赤いユニフォームを着たポリゴンが肩を落としていた。プレステのサッカーゲーム『ウイニングイレブン』でヴェルディ(緑)とレッズ(赤)が対戦していたのだ。
「二対三……また負けたぁ!」青偉くんはがっくりとうなだれるが、今までただの一度もうなだれなかったことはない。そして、私が本気を出して青偉くんの相手をしたことも、今までただの一度もない。「今日は惜しかったねぇ」私は勝ち誇りながら言った。嘘は言ってない。見事な接戦だった。ただそれは、青偉くんがうまくなったからではなく、私が、ギリギリの接戦を演じるのがうまくなったということなのだ。
「レッズが弱いからいけないんすよ」と、悪態をつく青偉くんを、バイト先の先輩としてかわいく思う。つんのめった黒一色のファッションセンスのわりに、身長が低めで童顔というビジュアル面もマル。つんつんに逆立てた短い黒髪も嫌いじゃない。少し熱くなりすぎたようで、青偉くんはYシャツの一番上のボタンを外した。というよりも今までボタンを全部かけていたのか((えり)のボタンを除く)。こっちは高校の時のジャージを着てるってのに。
「福田も小野も岡野もいるでしょ」少なくとも最新作のウイニングイレブンでは、浦和は決して弱くない。「スピードが強いゲームなんだから、スルーパス出して、岡野を走らせればいいだけなのに」弱くないどころか、ゲーム的には強い。「男のロマンはサイドアタックなんですよ」青偉くんはゲーマーには向いていない。ちょっと美学がありすぎる。「ていうか桐緒(きりお)さんずるいって言うか、ゲーマー過ぎるって言うか、もとからカズもラモスもゾノもいるのに、サッカーする気なくて、ドリブルでごり押しで…」
「はいはい、紅茶でも淹れてあげるわね」私は部屋から出て、コンロの前に立った。ロフト付きのワンルーム。コンロの前に立っても、キッチンなのか玄関なのか判然としない。コンロに向かって右には靴、左に向かえばユニットバス。非常に不衛生だと思うのは私だけだろうか。私はやかんを火にかけて、茶葉をガラスのティーポットに適量放り込んだ。
「そういえば、今さらですけど、俺、ここにいていいんですか?」
 不意に投げかけられた質問は、よく意味が掴めなかった。
「いいって、何が? まずいことでもあるの?」楽しいひとときのはずだったのだけれど。「いや何がって、この状況がですよ」青偉くんは至極(しごく)真面目に言う。「ゲームショップの店員同士が、片方の家に行ってゲームで遊んでるって状況?」「いや、これ、夜中に男が女の家に押しかけてる状況じゃないすか」確かに、そういう見方もできなくはない。けれどライヴ後の青偉くんを無理矢理誘ったのは私の方だ。
「だって私、昼間は大学で夕方からはバイトだし。そんなこと言ってたら遊べないし」「そりゃそうなんですけどね」青偉くんは不服そうだった。「まあ、私の彼氏、そういうのうるさい方じゃないし」「彼氏いたんすね」青偉くんは少し驚いた風だった。「人並みにはモテるんだけど。私。大学生だし、需要あるし」「カップラーメンの容器が積み重なってたら、いないのかなって思いますよ」確かに、私の部屋は綺麗ではない。「そういうの気づいたら彼氏が片付けてる。頼んだ覚えはないんだけど、なんか自主的に。掃除は好きみたい」「良妻賢母にはなれなさそうすね。ジャージだし」余計なお世話である。
「ていうかむしろ、私が浮気しないのを怒られるんだけど」「は? 意味がちょっと」そりゃまあ、普通の感覚では理解不能だ。「お前が浮気しないから、俺も浮気ができないんだ、って」「どういう理屈ですか、それ」あの人はどうも理屈屋で困る。「勝手に浮気すればって言うんだけど、なんかそういうのはフェアじゃないから嫌だって」「浮気に公正さを求めるのは間違ってると思うんですけど」まあ、世間一般的な思考で考えれば、ごもっとも、だ。
「まあでもそういうの抜きにしても大丈夫。私、空手の有段者だから、襲われそうになったらボカーンって一撃をね」「え、まじすか」青偉くんは幽霊でも見たような顔をした。まあ、私が持たれるイメージとは百八十度違う。「嘘。真っ赤な嘘。うちに来る男にはみんなそう言ってるのよ」「ばらしちゃったら意味ないでしょ」そりゃそうだ。「ばらしたのは今のところ青偉くんだけだから、問題なし」「要は俺が信頼されてるってことなんすね。わかりましたよ」その割にはやはり不服そうである。
「そういえば、何か話があるみたいなことメールに書いてなかった?」
 そもそも先に連絡を取ってきたのは青偉くんだった。ちょうど暇を持て余していた私が、事情もろくに聞かず家に呼びつけたのだ。
「ああ、その件、ちょっと面倒くさいことになってて」青偉くんはばつが悪そうに頭をかいた。
「紅茶でも飲みながらゆっくり話しましょうか。待ってて」

「結局それ、どうなったわけ? その少年はそもそも誰?」
 ちゃぶ台をふたりで囲み、紅茶を飲みながら青偉くんはバンドの話を始めた。私も無関係とは言えないので、紅茶をいただきつつ真面目に耳を傾けた。
 青偉くんから聞いた話を簡潔にまとめると、歌詞を書きたいと熱烈に志望してきた少年がいて、なんかややこしいことになってる、ということ。
「うちの高校の一年らしいんですけどね。いや、どうもこうもないすよ。なぜかそいつ、歌詞を書きたい理由については一切語らず、だんまり。俺と諒成は、そんなうさんくさい奴に大事な歌詞は頼めないって言って、祈莉だけひとりで面白がってて、書かせてみようって言い続けて、板挟みになった不比等は三年のくせにおろおろしてるだけで、安寿は気がついたら寝てるし、収集つかなくてもう散々です」
「何もまとまらなかったってわけ?」
「いや、まとまりましたよ。最終的には」
 その割には、青偉くんは苦々しい顔をしている。
「歌詞のコンペをやろうってなりましてね。その一年にも書かせて、諒成にも安寿にも書かせて、いいやつを選べば良いだろうって、まさかの不比等が、そう言ったわけですよ。あいつ、自分は書かねぇくせに。ただ、早く帰りたい一心で不比等が思いついたにしては、まともな案だったわけで」確かに、事の落ち着け方としては無難な線だろう。「特に反対材料があるでなく、祈莉はその案を熱烈に推しまくって、じゃあコンペをやろうという運びになったわけで。書かねえ奴らの意見だけ通してどうすんだって感じですけど」
「青偉くんも、書いてないじゃん」
「まさに問題はそこなわけで」
「私にコンペに参加して欲しいって話?」
「いや、むしろ逆です。逆」
 話は一年近く前に遡る。その頃、バンドのオリジナル曲の歌詞を書く奴がいないと、青偉くんがバイト中にぶつくさ言っていた。大学で文芸部に所属しているバイト先の先輩としては、見るに見かねて(そして面白半分で)、青偉くんのゴーストライターとして歌詞を書いてあげたのだ。叙情的散文を持ち味とする伊沢(いざわ)(かなめ)(ペンネーム)の一切を殺して、三郷青偉として、ノリノリにロックでバキバキにパンキッシュな歌詞をしたためた。慣れないことをしたわりには、それなりによくできたと自画自賛したものだった。
 私の歌詞は青偉くんが書いたものとしてバンドメンバーに披露され、めでたく採用されるに至った。一回だけ、実際に演奏されるところを見に行ったりもした。私の歌詞に触発されたのかどうか、その後、ギターくん(青偉くんじゃない方)とベースくんが歌詞を書くようになったそうだ。今では三曲に一曲、青偉くんが歌詞を書く順番が回ってくる。青偉くんに文才があるかと言うと、壊滅的にないので(どす黒く呪われた薔薇が云々(うんぬん)、って書き出しを見て私は天を仰いだ)、結局私は、今の今まで青偉くんのゴーストを続けていた。私の歌詞が乗せられた青偉くんのバンドのオリジナル曲は、今は四曲になっている。
 青偉くんは申し訳なさそうに言葉を継いだ。
「次の曲、桐緒さんにお願いするって運びになってたじゃないすか。でもコンペになっちゃったんで、なんつか、採用されるかわからない歌詞を書くのはちょっと桐緒さんには頼めないんで、俺も書けって言われてるんですけど、辞退しようと思ってるんすよ。もしお願いして、万一、没になんかなったら申し訳ないじゃないすか。だから、歌詞をお願いしてたのはいったんなしってことで」
 なるほど。全然悪びれる必要はないと思うのだが、歌詞の制作がキャンセルになることを申し訳なく思っていたらしい。
「晴れて、ゴーストライター引退?」
 何かそれは、務めを果たして晴れやかなような、ちょっとつまらないというか、寂しいような。
「いや、そう決まったわけじゃないっすよ。あの得体の知れない一年坊がどんなものを書いてくるかわかりませんし、駄目だったらまた桐緒さんに頼むこともあるかと。まあ皆を騙しているみたいで悪いなってとこあるんで、その時は正式に桐緒さんを紹介しようかと思ってるんす。もし桐緒さんがうちの奴らに会うのが嫌でなければなんすけど」経緯はさておき、バンドの面々にちゃんと会ってみたくはある。「まあとにかく、外部の奴を入れる入れないって話になるんなら、俺が桐緒さんの歌詞のこと黙ってるのはフェアじゃないんで。まあ、今まで騙してた事は俺の責任で、平謝りで。でもまあ、桐緒さんの歌詞が一番評価されてるんで、そんな嫌な顔はされないと思いますよ」
 要は、悪くないようにすると青偉くんは言いたいわけだが、私はむしろしっくりこない気持ちでいた。
「それさあ、コンペ終わってから、しれっと作詞を担当するって、結局フェアじゃないよねえ。安全圏に入ったらまた再開って、ロックでもパンクでもないよねえ」
 先輩に配慮する青偉くんはそれはそれでかわいいのだが、もっとびしっと決めるべきところは決めていて欲しいものだ。
「没になったら申し訳なくてパワプロをプレゼントしなきゃいけないですよ。勘弁してくださいよ」なんだそれは。そう言えばうちに野球ゲームないからパワプロは欲しいけど。「クラシックギターとエレキギターと、両方キープするの金銭的に大変なんですから、ゲームは桐緒さんが買ってください」そこは先輩を立てないのね。「もし私が、没になってもかまわないって言ったらどうする?」私はにんまりと不敵に笑ってみせた。文芸部員にもパンクンロールしたい時があるものだ。
「私だけ不参加じゃあ、ちゃんと見極められないでしょ。バンドの歌詞を良くするためなら、青偉くんはもっと貪欲になるべき。没のひとつやふたつ、文芸の方で経験ないわけじゃないんだし」青偉くんは、事態を飲み込めずきょとんとしている。「私も出る」「へ?」「だから出るって」「どこに?」皆まで言わないと理解してはもらえないらしい。
「歌詞のコンペ、私も参加する。ただし、青偉くんのゴーストライターとしてではなく、清旺台(せいおうだい)大学文芸部の副部長、伊沢要こと潮見(うしおみ)桐緒としてね」



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